妖怪キャリアビジョンに個人や企業がどのように向き合うか

「将来のビジョンは?」の実態

キャリアビジョン = 自らの在り方について将来実現したい像

同僚と色々な話をする中で、重要なのはキャリアビジョンや目指すロールモデルの有無ではなく今目の前にあるキャリアと向き合えているかどうかではないかと感じるようになりました。

雑木林の中の看板「← 爆弾穴」「→ 爆弾穴(新しく見つかった20m先 30.7.28)」

「将来のビジョンは?」「n年先どうしていたい?」みたいな質問、自分が問われたとしても正直なところ曖昧なイメージしかないので雰囲気をモゴモゴと伝えるしかなく、気まずさすら感じることがあります。

あなたはその問いに答えられるのか

この問いを投げかけた本人ですら明瞭に答えられることは稀ではないでしょうか。もちろんビジョンがあるならそれを聞いた上で話す方が真っ当なので、初めに問うこと自体はそれを咎めるものではありません。

キャリアを考えるのは必要な機会ですが、キャリアビジョンを無理に決める必要はありません。何かしらでっち上げて何らかの方向性をもって動いてみるのも時には良いですが、それを解像度の低いキャリアビジョンとして延々と大事に抱えてしまっては本人も周りも得をしないでしょう。

持つことよりも、向き合えていること

最初からキャリアビジョンと呼べる「像」を持っている人は確かに存在しますが、それと同じかそれ以上の過半数がキャリアビジョンを持っていません。

「こうなったらいいな」という志向性は持ちつつも、それを貫くという意思決定や至るための道筋を決めきることが難しいというのが実状です。実際には確固たるキャリアビジョンがあろうとなかろうと、それでもなお自分が望む方向に少しでも近づくよう日々を積み重ねていくしかありません。

ビジョンを持たざる個人とキャリア

キャリアビジョンという語が出てくると、将来の目標に向かってまっすぐ走る姿を期待しがちです。しかし「なにかを目指さないと成長しない、価値がない」ようなことを無謬することは健全ではなく「目の前のできることを積み上げることの先に何かを見いだせるか」がキャリアに関する満足度の違いに影響を及ぼしているのではないでしょうか。

よって個人としては、キャリアビジョンが定まらない根底にある「将来の不確実性 → 容易に起こりうる軌道修正や変化」を前提として、日々の積み重ねから方向性を発見することを意識すればよさそうです。

自分の可能性を常に並べ、日々を選択する

キャリアにおいて選ぶ機会は少なくありません。そのたびに自らにとって望ましいと思える方向をちゃんと選択するためにも可能性を意識することは必要です。キャリアビジョンのような大層なものが無くても、今の自分はどこに至る可能性をもっているかを振り返ることはできます。

至る可能性を拡げるのか狭めるのかはその時々のバリエーションでしかありませんが、大前提としては「できることを増やすか伸ばすための選択であること」は外さないほうがいいでしょう。

できることを自らのテーマに昇華する

ここでいう「できる」とは一般的な技能としてプログラミングを習得するというようなことではありません。自分の提供できるバリューを、より分かりやすく人に求められるようなテーマとして自認することです。経験上、このようなメタ認知が疎かだとキャリア迷子になりがちな気がします。

解像度は人それぞれですが、キャリアの中で自分がうまくできるテーマというのは何らか見いだせるはずで、それが自分の可能性を更に増やしてくれたり豊かなものにしてくれたりします。

できることを積み重ねながら、やりたいことが降ってくるのを待つ

確固たるキャリアビジョンをもって達成に向け逆算するのが帰納的なアプローチだとすれば、日々キャリアと向き合って試行錯誤しながら今できることを大切に養うのは演繹的なアプローチです。

できることを丁寧に積み重ねれば、おのずと自分が活躍できるテーマも増えます。それらのテーマの組み合わせによって新しい可能性が生まれ、自らの選択肢が広がることもありますし、目指す1本の道が明瞭になることもあります。そのようにしていけばきっと大層なビジョンがなくとも、自らが納得できる大きな可能性に出会えるはずです。

企業が提供するキャリアと機会

一方で企業は従業員に対して、キャリアや(実際に選び取られるかどうかは別として)ロールモデルを提示することが一般的に期待されています。それはそれとして必要ですが、この場合の潜在的なリスクは企業の中にある既存の選択肢が個人にとっての袋小路になってしまう可能性です。

役割、職種、職位、意図しないあらゆる束縛リスク

企業の中にはキャリアやロールを既定するさまざまな概念があります。これらには個人のロールやキャリアを束縛してしまうリスクそのものになりうる側面があります。職務管理や評価の運用としてそうせざるをえないのが前提にあるので取り除くことはできません。

袋小路を作らない組織内脱出ハッチ

概念に束縛された従業員は、キャリアに袋小路を感じたとき転職を選ぶのか社内のキャリアチェンジを選べるのかで大きく変わります。基本的に従業員に辞めて欲しくないというのが企業の前提にあるならば、どれだけ袋小路の先にある脱出ハッチを用意できるかが重要そうです。

業界にもよると思いますが、ことWeb/アプリ系のソフトウェアエンジニアの場合は社内のキャリアチェンジよりも転職のほうが本人的にイージーなようです。これの一般的な対策としては制度としてチャレンジの機会を設ける、キャリアやロールのレパートリーやチャンスを普段から可視化するなどが考えられます。

ただ、従来的に企業が提示するリーダーやマネージャー、はたまたスーパープレイヤーのような例を可視化したところで、みんながリーダーになれるわけも希有な能力に恵まれているわけもなく、可視化したところで個人のキャリアイメージに対する貢献への期待は限定的であり脱出ハッチにもなりません。

個人の能力をバリューとして再開発する

本当に重要なのは現場のマネジメントにおいて、個人の能力を本人も気付いていない未知のテーマにどれだけ再開発できるかだと考えています。個人観点で「できることを自らのテーマに昇華する」を挙げましたが、本人でなくとも周囲がそれをアシストすることができます。

「できることをどう増やしていくか」「増やした先になにが見えそうか?」のような観点でマネジメントする機会とそれが実行できる人材を意識的に増やしていかなければならないと考えます。

大雑把な職務に対して必要とされることを何でもやってください的な雇用形態であればこそ、個人の自律/自発を前提としつつもキャリアに関する責任の多くを企業側が担保しておく必要があるでしょう。

欧米的に職務が細分化されたジョブディスクリプションくらいまで定義されていると話は別な気はしますが。

おしまい

推測できない不確実な未来において大きなキャリアを自らのモノにするため奮起するのか、目の前の現実における積み重ねによって大きなキャリアを見つけるのか、どちらが正しいということはありません。ただ前者のみが正であるかのように捉えてしまうと、個人としても企業としても判断を誤るような気がしてならない気持ちです。

なお、私のビジョンは短中期において「n年先も息災に働いてご飯を食べて平穏に暮らしたいです!」であり、長期においては「南の離島で小料理屋をして隠居したいです!」です。はたらきたくないです。


Author

ahomuAyumu Sato

KINTOテクノロジーズ株式会社

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